2 ライティング・エンジンとしてのワードプロセッサー くまきち
まとめ
自由なエクリチュールを生成する道具としてワードプロセッサーを捉え直すと面白いよ!書くという行為を技法のレベルに分解するのもありだよ。
エクリチュールとは
一般的には書くこと(ライティング)。
ジャック・デリダは「我々が存在すること」と定義を拡張。我々の世界はエクリチュールの構成物。
手書きのエクリチュールとは
意識化できてないことを意識化する作業+一度書き上げた原稿を推敲する作業。
タイプライター的思考と手書きのエクリチュールとの違い
書くとき
タイプライター的思考:書きたいもの(ロゴス)が書く前にはっきりしている。それゆえ書くことはロゴスを吐き出すこと(言いたいことを言葉に移し替えているだけ)にとどまる。
手書きのエクリチュール:意識にないことを意識化する作業。書くことで自分の存在を確かめる。
推敲する時
タイプライター的思考:テキストの断片は部品に過ぎず、決まった手順ででテキストを構成
手書きのエクリチュール:断片的なテキストが互いに絡み合って一つのテキストに構成される。
文章を書く技法を取り扱うのに意味があること
人間の知能は何かを定義できない。説明する普遍的な概念がない。理解されたたら単なる技法の集積に解体されてしまう。ただ、書くという限定された特定の領域にのに有効な技法の集積を説きほぐすのは意味がある。(この後への導入かな?)
ワードプロセッサーの捉え直し
タイプライター的思考ではなく、自由なエクリチュールを生成する道具としてワードプロセッサーを捉えてみたい。
※21世紀も5分の1が経過した今ではあまり意識しないけど、タイプライターは書き直しができないが、ワードプロセッサーは自由に書き直しができることにだいぶ違いがある。
https://gyazo.com/bad0c27ffc4a47d02ffc183f56b12ef9
何度も読んでノートに書きつけてやっとここまで筋をまとめてみた。
rashita.iconすごい!
語句
前の章
次の章